蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブについての報告(2024年下半期)

 

kraodgesan.hatenablog.com

 

のつづきだよ〜(可能な限り上半期抜きでも読めるようにしているつもりです)

7月

1から0:104期 活動記録 第4話「昔もいまも、同じ空の下」

自分は 1を2にしようとする人間 が苦手だ

1を2に〜というのは例えば, 人気の漫画がアニメ化する際に原作の空気感から逸脱した描写を盛り込もうとする人間のことである

そこには大なり小なり原作への ナメ が存在していると同時に「もっと面白くしてやるよ」という自らの技量に対する 驕り があると思うからだ

漫画のアニメ化であれば, 原作の空気感はそのままに, 16:9という決められた規格にサイズの異なるコマたちをどう落とし込んでいくか, といった アニメとしての1 を探求してほしいというのが自分の望むところだ(メディアの違いを理解せよ!)

とまぁこの様に 思想強め な自分だが, 蓮ノ空における 逆さまの歌 の扱いについて嫌悪感を抱いたことはない

逆さまの歌, もとい Reflection in the mirror は, 傍から見ればまさに1を2にしようとする人間たちによって歪んでいった曲であるし, 花帆さんは最初に逆さまの歌を変えた子は「もっと素敵な歌にしよう」と頑張ったのだと推察していた

でもそれは半分合ってて, 半分間違ってたというのが個人的な見解だ

その理由は 経年劣化

経年劣化とは物質に生じるもので, 7月の活動記録では劣化した初代スクールアイドルクラブの衣装を軸に話が進んでいった

けれども という非物質にも劣化は生じると自分は思う

もし仮に, 一世を風靡した昭和歌謡が現代の音質でリマスターされたとして, それが世間に受け入れられるかといえば, 否である

何故ならば, どれだけ音質が良くなろうとも, 一般的な現代人は昭和歌謡を古臭いと感じてしまうからだ

つまるところ, 世間では 当時の価値観 において 1 とされていたものが 価値観の変化 によって1から0.9に, 0.9から0.8に劣化し, そしていずれは 0 になって忘れ去られる

もっとも, 自分は価値観というものは変化はすれど優劣はないと思っていて, 古典的な曲も現代的な曲も等しく1だと思えることが自分の理想とする音楽との向き合い方だ

とはいえ世間にこういった思想を押し付けるだけの力を自分は持ち合わせていないし, 最初に逆さまの歌を変えた子も, 自らは1だと思っている 大好きな曲 が価値観の変化によって世間から忘れ去られんとする様に心を痛めたのかもしれない

そう, 自分が逆さまの歌の扱いに嫌悪感を抱かなかったのはきっと, それが1を2にするのではなく, 変化した価値観に合わせてアレンジを施すという 0を1にする行為 だったからなのだと思う

  • 芸学部をスクールアイドルクラブに改名する
  • 逆さまの歌をReflection in the mirrorという別物にする
  • 初代スクールアイドルクラブの衣装をバラバラにする

そのどれもが先人たちを軽んじる行為のように見える

けれどもそれらは先人たちの想いを未来に届けるための バトンリレー

経年劣化から抗うことができないのなら, に合わせて形を変えて残す

自分は蓮ノ空が掲げるその理念がたまらなく好きだし, 自らもかくありたいと思えるような, この下半期の中でも特に印象に残った活動記録だった

 

たましい:104期 1st Term Fes×LIVE「月夜見海月」

どのユニットが蓮ノ空で1番好き?と問われたら, 自分は間髪入れずに 104期 スリーズブーケ だと答える

スリーズブーケは103期の時点で相当気に入っていたのだが, 芯の通った吟子の歌声が加わったことで104期はより一層バランスのいいユニットになったという印象を受ける(バランス厨)

7月の104期 1st Term Fes×LIVEではそんな104期スリーズブーケの新曲「月夜見海月」が披露されたわけだが, 自分はこの曲を最初に聴いた時点で悟ったことが1つある

それはこの曲が アオハル(アオクハルカ)の 精神的続編 であるということだ

吟子の歌唱パートだけ聴いても

踏み出すのはまだ少し怖いよ

と自らがスクールアイドルとなることに躊躇いを見せていたアオハルに対して, 月夜見海月では7月の活動記録を経て

届け私の歌

と胸を張って言えるようになったという吟子の成長が窺えるわけだが, 個人的に最も注目したいのはこの2曲における イントロ

大前提として, アオハルと月夜見海月は キーE♭メジャー で一致している

世はまさに大DJ時代ということでご存知の方も多いと思うが, キーというのは使っている音の規則性のことで, 現代の曲はこの規則を(基本的に)守りながら作られている

そのキーが一致している時点で月夜見海月はアオハルがベースとなっている可能性があるのだが, キーも無数に存在するわけではないので(全24通り)まだ 偶然の一致 で片付けられる範疇だ

問題はイントロ

月夜見海月では琴(の音色を模したプラグイン)とシンセサイザーがメロディーの役割を果たしているのだが, イントロの 0:05〜0:090:12〜0:15 で繰り返される

ソ-シ♭-ファ-ソ-ミ♭

ソ-高いド-シ♭-ソ-ファ-ソ-ミ♭

という琴のメロディーを構成する ファ-ソ-ミ♭ は, アオハルのリードギターがイントロの 0:07〜0:09 で繰り返している ミ♭-ソ-ファ を 逆転 させたものだ

それだけではない

Aメロに入る直前, 月夜見海月は 0:16 から

シ♭-ラ♭-ソ-ファ-ミ♭-レ-ミ♭

のメロディーを, アオハルは 0:18 から

シ♭-ラ♭-ソ-ラ♭-ソ-ミ♭-レ-ミ♭

のメロディーを奏でているわけだが, この シ♭ から へと次第に 下行 させ, ミ♭-レ-ミ♭ で締めくくるという2曲のメロディー構成は, 果たして偶然の一致で片付けられるものだろうか

続編ではなく精神的続編という表現を用いたことからわかる通り, アオハルと月夜見海月は異なるスタッフによって作られた曲だ(作詞はどちらもケリー氏だが)

つまり月夜見海月の作曲・編曲家である 塚田耕平 氏は, アオハルのメロディーを オマージュ したことになる

オマージュとは バトンパス

誰かの たましい を受け取って, それを未来に届ける

そんな今の蓮ノ空を体現するような月夜見海月が, 自分はこの下半期で, いやこの1年で1番好きな曲だったと自信を持って言える

 

8月

かほるりかちまち:With×MEETS「恐怖!蓮ノ空怪談!」

 

幻想(ユメ)じゃねぇよな...!?

 

どのメンバーが蓮ノ空で1番好き?と問われたら, 間髪入れずに 花帆さん, 瑠璃乃, かちまち(ヒトリダケナンテエラベナイヨー)だと答える自分の目に飛び込んできたのは, その3人が並んだWith×MEETSの配信予定表だった

自分は生まれた時から かほるり の大ファンであり, 8月時点では唯一のかほるり配信であったWith×MEETS「勝負だよ、瑠璃乃ちゃん!」を何度も見返すほどにこの2人にゾッコンだった

そして104期にはかちまちという新たなメンバーを好きになり, その親和性の高さからこの3人, つまり かほるりかちまち のWith×MEETS配信を望んでいたわけだ

そして時は来た ───

 

(インドから)すぐ " 帰国 " するッ...!!

 

その配信は眼福の2文字で表し切れないほどに美しいもので

  • おどろおどろしい喋り方をするも愛くるしさが勝ってしまう瑠璃乃
  • 自分の中でのイメージとは裏腹に怪談に動じないかちまち
  • ビビりすぎて画面外に吹っ飛んでいく花帆さん

等々, #最高の瞬間 がこれでもかと詰まった配信だった

その日は地元の花火大会に足を運んだのもあって(もちろん独りで), 一生忘れない夏の一夜になったと思う


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未明:104期 活動記録 第5話「不完全で、未完成」

かちまち短所視野が広いところ だと自分は思う

長所ではなく, 短所である

蓮ノ空のメンバーにはそれぞれプロフィールが存在し, そこには 特技 の項目が用意されている

花帆さんであれば「食べ物の好き嫌いがない」, 瑠璃乃であれば「どんなことでも楽しめる!」と, 各々が自由に特技を記入しているわけだが, かちまちはというと「特技と言えるようなことは何も…」, つまり 特技がない ということだ

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なぜ特技がないと言い切ってしまうのか, その答えはスクステのカード【Dream Believers】徒町小鈴の特訓ボイスにあった

徒町って, 何にもないんですよ

「得意なことは?」って言われても, 何を浮かべても, 一緒に誰かの顔が浮かぶんだ

「その人の方が得意だな」って

「趣味は?」って聞かれても, やっぱり誰かの顔が浮かぶ

「あの人ほどのめり込んでないな」とか,「没頭出来てないな」とか

徒町もそういう「何か」がほしいのに, 何をやってもダメダメで...

そう, かちまちは周りを見渡せばどの分野においても 上位互換 が存在することを知って, 必要以上に自らを卑下するようになってしまったのである

そしてきっと, かちまちにとっての 周り というのはものすごく広い

4月の活動記録において湖を渡るチャレンジという衝撃のデビューを飾った彼女だが, 何故そのような奇行に走ったのかといったら, それしか道が残ってなかったからだと自分は思う

当人が語っている通り, これまでのかちまちは得意なことを見つけるために何度も挑戦し, そしてその度に失敗してきた

けれども, かちまちがこれまで所属してきたコミュニティにおいて, 彼女が得意なことは本当に1つもなかったのだろうか

もしかしたら, 簡単に世界と繋がれる現代において, かちまちの比較対象はコミュニティではなく 世界 だったのかもしれない

 

いやそのルックスしてる時点で世界チャンピオンだろお前, ナメんなよ

 

失礼, 少々取り乱した

簡単に世界と繋がれる現代は, 物理的には便利だが精神的には不便だ, というのが持論である

そこでは才能に溢れた人間たちが切磋琢磨していて, 湯水のように湧き出てくるすごいものを我々は享受することができる

でもそういったものを目の当たりにしたとき, 我々は 劣等感 を抱いてしまうものではないだろうか

自分と同年代の, あるいは歳下の人間が世界で活躍している

少なくとも自分はその越えられない壁によって「何者にもなれない...」と落ち込むことが多い

そして現状のかちまちは, 世界に目を向けているとまではいかないものの 広い視野 を持っていることは間違いない

自分もかちまちも, きっと視野が狭ければ 藤島 のように 井の中の蛙 として幸せに生きることができただろう, 藤島 のように

けれども我々は不器用なので, 1度広がってしまった視野を戻せずに 大海 で溺れ続けているわけだ

そういった点において, 視野が広いところはかちまちの短所であるというのが個人的な見解だ

では逆に彼女の 長所 は何かというと 粗探しをしないところ だと自分は思う

任意の分野において自らの上位互換が存在することを知ったとき, 我々には1つの防衛本能が働く

それは 粗探し

「この人間は◯◯が得意だけど◯◯は苦手だから大したことないな」と, 相手の長所ではなく短所にフォーカスすることで自らの社会的地位を守ろうとする

そして短所がない人間なんて存在しないため, 当人の心の持ちようによってはその粗探しによって社会の頂点に君臨し続けることができるわけだ

でもそれは 沈み続ける行為

お恥ずかしながら, そういった粗探しに心血を注いでいた時期が自分にはある

当時の自分は身近な人間たちに計り知れないほどの劣等感を抱いていて, それを払拭するためにその人間たちの短所にばかり目を向けていた

そんな日々によって何が残ったか?

何も残らなかった

当然である, マイナスなことを四六時中考えても何かが生まれることはない

振り返ってみて, あの時期は間違いなく 流れてゆく毎日 を過ごしていたなと思う

そんな後悔もあって, 今の自分は意識して相手の長所に目を向けようとしているのだが, やはり根底にある粗探しのクセが抜け切っていないなと感じることがある

だからこそ, 相手の長所をまっすぐに見据えているかちまちが自分には眩しく映る

彼女とて劣等感がないわけではない, むしろ劣等感の権化である

けれども, その劣等感をプラスへと昇華できる 黄金の精神 を宿しているのだ

そんな彼女の 行進を止めないでいて という想いが友達に届かないわけがない

徒町小鈴はきっと, これからも誰かの, 自らの 未来明るい ものにしていくことだろう

 

9月

口パク:103期 Fes×ReC:LIVE ~first crossing~

 

※この文章にはショッキングな表現が含まれます

 

せーので!はすのそら!#45 にて, スリーズブーケのキャスト2人は視聴者からかけられている「Fes×LIVEは録画なのでは?」という疑いについて触れていた

まずはこれについて断言させてもらおう

Fes×LIVEは録画ではない

なぜ断言できるのか?

リアルタイムレンダリングによるアプリへの負荷であったり, スタジオ代が考えられたライブ時間の短さであったり, 理由はいくつかあるが, 何よりも ボーカルの音程がブレている のが最も大きな理由である

2024年の1月から蓮ノ空に触れ始め, そしてFes×LIVEを初めて見たとき, 自分は耳を疑った

何故ってボーカルの音程がブレていたからだ

自分にとって, その 未完成 は衝撃そのものだった

皆さんは生配信があった任意のライブで疑問を抱いたことはあるだろうか,「どうしてDVD, Blu-rayの発売がこんなに遅いのか」と

蓮ノ空においても, 2023年11月末に開催された1st Live Tour 福岡公演が2024年の10月にようやくBlu-rayとして世に出た

こういった遅延について「生配信の映像と音声を使えばヤバすぎるスピードで円盤化できるよな?(パワハラ先輩)」と言いたいところだが, そうおいそれといかないのがライブ円盤というものだ

大まかに, ライブの円盤化には映像チェックと音声チェックの工程がある(と自分は思っている)

そしてこの音声チェックでは, 音がちゃんと拾えているかだけでなく, 音程がちゃんと合っているかまで確認されるのだ

その確認を経て, 音程がブレている箇所は音声編集ソフトによって補正が行われるために, 我々は 完成 された歌声を聴くことができるという仕組みだ

で, ここからが本題

現代には 口パク という悪しき慣習が残っている

音程のブレを後から補正するのではなく, 事前に補正された別録りの音声に合わせて口を動かす

ま〜〜〜〜〜〜〜〜〜嫌いだ(苦手を通り越して)

8月の活動記録では 完成に向かおうとする意思 の大切さが説かれた

自らが未完成だと燻るのではなく, 完成したと驕るのではなく

未完成であることを自覚し, 完成に向けて進んでいくことこそが肝要だという蓮ノ空の 黄金の精神 に自分は強く鼓舞された

だからこそ, その意思を軽んじる口パクという 偽りの完成 に対する嫌悪感は日に日に増すばかりだ

そんな口パクガチアンチの自分だが, 実は毎日のように口パクを聴いていた時期がある

そう, バチャ豚 時代である

口パクという悪しき慣習, 現代においてそれが最も感じられるのはバーチャルYouTuberのライブだと自分は思う

VTuberはシンガーではなく ストリーマー

優先すべきは配信で, 歌やダンスの練習に割いている時間はないのだ

だからこそ, ライブでは事前に収録された映像と事前に補正された別録りの音声を流す

ストリーマーとして実に合理的な行為だと思う

けれども自分は, 合理的でないものにこそ美しさを感じる 哀しきモンスター なのだ

哀しきモンスターの鳴き声

そして上記の文章からはVTuberのライブが例外なく口パクだと読み取れてしまうかもしれないが, 例外は存在する

音程がブレていて, 曲の終わりにかけては疲労によって高音が届かなくなる, そんなVTuberの未完成なライブを自分は何度か見たことがある

もしかしたら彼ら彼女らは, 配信に時間を割かせたい事務所の意向を突っぱねてでもそれらのライブを敢行しているかもしれなくて, その非合理極まりない行動に当時の自分は心を動かされていた

だからこそ, その 未完成否定 されたときに自分はバチャ豚から足を洗うことを決めた

足を洗う様子

一般的な現代人は生歌と口パクの判別が付かない というのが個人的な見解だ

この文章を読んでいるそこのアナタも「VTuberのライブって口パクだったの!?」と驚かれているかもしれない

今からでもそれらの判別が付くようになりたいという方は, ぜひカラオケに通ってみてほしい

自らが歌うことで生歌あるあるみたいなものが掴めると思う

それは置いておいて, じゃあ判別が付かないとどうなるかというと「◯◯ちゃんの生歌より◯◯ちゃんの生歌(実は口パク)のが上手いじゃん」という勘違いを起こす

胸に納めるのならいい, けれども世間には, その勘違いを口にしてしまう輩がいるのだ

そして好きだったVTuberがその悪意によって落ち込む様を見たとき, このコミュニティでは 正直者が馬鹿を見る んだなとひどく嫌気が差してしまって, 自分は次第にVTuberから遠ざかっていった

そういった苦い記憶もあり, バーチャルスクールアイドルを謳う蓮ノ空に自分は乗り気ではなかったし, 実際2024年の1月まではTLで聞きかじったことしか知らなかった(魔神柱とか)

Fes×LIVEを初めて見るときも「どうせ口パクなんだろうな」と偏屈な気持ちで再生ボタンを押した

するとどうだろう, 彼女たちは 馬鹿を見る正直者 だったのだ

大きな振付があるたびにブレる音程, 曲の終わりにかけて届かなくなる高音

蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブは間違いなくその場で歌い, 踊っていた

バーチャルYouTuberのコミュニティにおいて, 生歌 とは 愚の骨頂

その未完成は口パクという偽りの完成と比べられ, 低レベルだと揶揄される

けれども, 蓮ノ空はアイドルという シンガー として, 生歌で勝負することを選んだのだ

かっこ

  いい

そして9月には, その未完成の集大成となる103期 Fes×ReC:LIVEが開催された

このライブで心底驚かされたのは, 未完成が 未完成のまま であったことだ

つまり, 当時の音声がそっくりそのまま使われていた(例えば眩耀夜行であれば音程のブレ方からして103期7月度のものだ)

前述した通り, 事前に収録された音声は編集ソフトによって音程を補正することができる

だというのになぜ未完成のままだったのか?

音程を補正するだけの予算がなかった?

音程の補正に割ける時間がなかった?

自分は 完成に向かおうとする意思を重んじた のだと思いたい

近年の技術向上によって, 未完成を偽りの完成に押し上げるのは簡単になってきている

けれどもあえて未完成である様を見せつけて, その未完成が当人たちの 努力 によって完成へと進んでいくのを見届けましょうよ, というのが蓮ノ空のコンセプトなのだとしたら, とても美しいと自分は思う


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10月

抵抗:金沢蓄音器館

自分が蓮ノ空を追い始めてからはや10ヶ月, ついにこの日がやってきた

そう, 聖地巡礼 である

大沢瑠璃乃を自称していることからわかる通り, 自分は人ゴミが大の苦手で, 平日に聖地巡礼をしたいな〜と常々思っていたのだが, 労働のスケジュールが ぎゅぎゅっと。されていたためにここまで時間がかかってしまった

それは置いておいて, 平日に独りで回る金沢は めっちゃ楽しいじゃん!という感じで, 外国人観光客はそれなりにいたものの, ほとんどの聖地を待ち時間なしに悠々と回ることができた

週末には好き好きクラブのみなさんでごった返すと言われている夕方の卯辰山公園見晴らし台にも数人しか足を運んでおらず, あの日スクールアイドルクラブの6人が体感した空気を感じることができた

このポスト, 投稿日が10/26(土)となっているが, 実はその2日前に撮影した写真の時差投稿である(おい)

そんな聖地巡礼において自分が語りたいことは100万ほどあったのだが, そのどれもが好き好きクラブのみなさんによって語られたことであろうから, 自分はあえて 1から0 に着目させてもらう

金沢には待ち時間が発生するほどに人でごった返す場所があると同時に, 待ち時間とは縁のない場所も存在する

それは 伝統歴史 を展示する施設である

平日の 加賀友禅会館 を訪れたとき, 自分は身につまされる思いをした

当時蓮ノ空とのコラボが開催されていなかった平日の館内は閑散の一言に尽きる場所で, 1時間近く過ごした中で自分以外の来館者は1人もいなかった

誰も見ていないテレビではこの道数十年の職人が極寒の海で独り友禅流しをする様が映され続け, 友禅染めの体験会コーナーでは暇を持て余している2人の先生が他愛のない話をしていた

そう, コラボが開催されている今の友禅会館であれば, 平日にもある程度の来館者はいるだろうし, 友禅染めの先生も手持ち無沙汰になることはないだろう

けれども当時の館内で自分が目にしたのは いつか来る終わり で, まるで自分のことのように1が0になる苦しさを味わった

そうやって傷を増やしながら次の日に向かった 金沢蓄音器館 もまた, いつか終わる歴史の1つである

失礼を承知で言わせてもらうと, 現代において蓄音器に市場価値は見込めない

幅を取る高級な蓄音器を購入せずとも, デジタル化すればレコードは手軽に聴けてしまうからだ

そして市場価値が見込めないということは, 忘れ去られることを避けるためには, 何か 付加価値 を与えなければならない

加賀友禅は精神的な伝統であるため, 着物に縛られず様々な日用品に付加することができるし, これまでもそうやって 今の1 を模索してきたのだと思う

けれども蓄音器は物質的な歴史であるため, 日用品に付加することは難しく, 今に溶け込むことができないのだ

そういった苦境に立たされている蓄音器を未来に届けんとする蓄音器館にとって, 蓮ノ空という とのコラボは大きな意味を持つのかもしれない

 

ここからは怒られが発生したら消す

 

その蓄音器館にて, 館長の口から直々に語られるコロムビアやビクターといった聴き馴染みのあるレコード会社の歴史に ド     カ     湧     き した自分は, グッズ売場で ある現場 を目撃した

それは恐らく, BNの社員2人と館長との商談の現場である(館長がBNの上層部に知人がいることやASOBINOTESについて語っていたことからの推察である)

その商談の中で館長は, 以前の蓮ノ空コラボがあちら側から持ちかけられたものであることを語り, そのコラボを受諾した理由について「手を差し伸べられたら掴むべき」といったようなことを口にしていた

歴史を重んじる人たちからしてみれば, ラブライブ!シリーズ, ひいては美少女コンテンツはチャラチャラしている忌み嫌うべきもの, という印象であることは想像に難くない
けれでもきっと館長は, 差し伸べられた手を掴まなかった, あるいは手を差し伸べられることすらなかった数多の歴史が忘れ去られていく様を目の当たりにして, どんな姿形でも 未来に届けることを第1に考えるようになったのだと自分は思う

自分はそんな館長の 見苦しさ とも取られかれない 抵抗 に敬意を表すると共に, 自分もまた, 蓄音器を未来に届ける一助になれればいいなと感じた聖地巡礼だった

 

人魚姫:バミューダトライアングル〜カラフル・パストラーレ〜

ラブライバーとして金沢を回る中で, 自分は思いがけない, 思いがけなすぎる 出会い をした

アニメイト金沢店が入っているテナント施設, そこにいたのは

カラフル・パストラーレ の5人だった

5年前のスタンディが, それもカラパレのが奇跡的に放置されてることある?????

いや, これは 運命 だったのだと受け取っておこう

皆さんご存知のとおり(?)自分は蓮ノ空でカラパレのポコを擦っている

蓮ノ空を追い始めた1月の時点でポコとカワウソちゃんにはシナジーを見出していたが, 当時は「蓮ノ空ってカラパレなんかなぁ...」とカラパレ自体を蓮ノ空に結び付けることはなかった

けれども, 104期の蓮ノ空は間違いなくカラパレだったなと自分は思う(特に8月の活動記録でかちまちが 映画 を撮影し始めたときは思わず横転したものだ)

104期の蓮ノ空において, カラパレ部門のMVPとなったのは 吟子

伝統を愛する彼女が中心となる活動記録は, どれも 過去 が絡んでいた

過去の歌, 過去の衣装

それらを変えることで吟子はスクールアイドルとして踏み出したわけだ

そしてカラパレにおける過去といえば, やはり映画館だろう

古びた映画館を偶然発見した少女たちは, その心奪われる過去が忘れ去られることを憂い, 復興を目指した

でもその復興は蓮ノ空と違って, あくまで 舞台装置 だったのかもしれない

娯楽が少なく, 価値観の変化がゆるやかなパーレル村において, 0を1にするのはさほど難しいことではない

事実, キネオーブに記録された古い映画に対して不満を口にする村の人は1人もおらず, 最終話の描写からして, 映画館の復興から数年経ってもそれは変わっていない(やさしいせかい)

ではカラパレの本質は何なのかといったら, その舞台装置を経て育んだ 友情 なのだと思う

友達がいなかった1人の少女は, 独りに恐怖し, 歌から逃げ出した

そんな彼女に手を差し伸べてくれたのは4人の少女たち

その4人と送る映画館復興の日々を通して, 楽しいことも苦しいことも5人で分かち合った彼女は, 独りではなく5人で歌っていくことを選んだ

そんなカノンの姿は, 自分の中で吟子と重なって見えていた

蓮ノ空で初めて同年代の友達ができた彼女は, ラブライブ!大会という舞台装置を通して, 友達との 繋がり をより強固なものにした

今の彼女なら, きっとその きらめき で9人の夢を叶えることができるだろう

 

 

 

 

 

 

キャロちゃん随分とイメチェンしたね

 

上半期には 自称大沢瑠璃乃 という 驕り を皆さんに披露した自分だが, 最近はその自覚が揺らぎ始めているなと思う

それはこの下半期で「漏れって本当に大沢瑠璃乃なんかなぁ...」と考えあぐねていたのもあるが, 10月に判明した安養寺の過去の方が, より自分に近いと感じたからだ

上半期の自分が もう1人の大沢瑠璃乃 と評したように, 安養寺は瑠璃乃と似た部分を持っていると思う

気を遣えるところや, 瑠璃乃はユニットにおいて, 安養寺はゲームにおいてお互いを仲間だと思えなかったところ

身体は大きく異なる2人だが, 心は似ているのだと今でも自分は思っている

では逆に違うところは何かと言ったら 過程 なのかもしれない

きっと瑠璃乃は 被害者 で, 安養寺は 加害者 だったのだ

10月の活動記録にて, 安養寺は吟子とかちまちの短所を理解していながらもそれを2人に伝えることができなかった理由について, 過去の 押し付け が原因であることを話した

以前は友達同士で一緒にゲームをやっていたこと, その中で友達のひとりがゲームを辞めてしまったのは, 自らの本気を押し付けてしまったからなのかもしれないこと

安養寺はそのトラウマによって誰かに踏み込むことができなくなってしまったわけだ

そんな安養寺を見たとき, 自分は思った

 

このキャラ私だ...

 

うん, 驕りである

こんな人格者と自分が同じわきゃあない

数年前までの自分は, 世界が自らを中心に回っていると信じて止まず, あらゆる人たちに迷惑をかけてきた(迷惑自体は今もかけているが)

自分の利益のためならどこまでも相手を利用し, そして恩返しは一切しないという カスが極まる 生き方をしていた

そんな自分にとっての転機となったのは, 塾講師のアルバイトである

自分が在籍していた塾はとにかくコミュニケーション重視という感じで, 研修では日常会話におけるNGワードを叩き込まれたのを覚えている

そんな塾で行う生徒とのコミュニケーションはマイナスに振り切っていた自分のコミュ力を何とかゼロに持っていくのに最適で, 時には周りの日常会話に耳を傾けながら「相手を楽しい気持ちにさせる話し方」を学んでいった

でもそういった話し方を学んでいくたびに「今までの自分は相手を楽しい気持ちにさせることができていただろうか」という不安が頭をよぎる

その不安を払拭しようと思い出すのはどれもこれもが間違いなく 相手を嫌な気持ちにさせた場面 で, それらの場面は今も頭にこびりついている

だからこそ, 今の自分はそういった過去への 贖罪 として気を遣いすぎる生き方をしているのだと思う(そう思ってんなら嫌な気持ちにさせた1人1人に謝りに行けよって話だ)

そしてきっと, 瑠璃乃 はその 嫌な気持ちにさせた相手 だったのだ

楽しいだけの空間が好きだった少女は, 怒りや悲しみといった嫌な気持ちを押し付けてくる誰かによってこの世界に絶望し, 独りでいることを選んだ

自分はそんな彼女と同じなどではなく, むしろ嫌な気持ちを押し付けてきた, 彼女を絶望させた誰かであったことは自覚しなければいけないと強く感じた活動記録だった

 

11月

かほるり:With×MEETS「カラオケしちゃお!パート2!」

 

幻想(ユメ)じゃねぇよな...!?

 

(インドから)すぐ " 帰国 " するッ...!!

 

花帆さんと村野さんによるWith×MEETS「カラオケしちゃお!」を見たとき, 自分は心から思った

「今度は瑠璃乃も混ぜて配信してほしいな」と

前述した蓮ノ空メンバーのプロフィールには 趣味 の項目も用意されており, 特筆すべきは 花帆さん瑠璃乃カラオケ という趣味が一致しているところだ

www.lovelive-anime.jp

このことから, 件のWith×MEETSは花帆さんと瑠璃乃によるカラオケ配信が予定されていたけれど, 諸事情により村野さんがピンチヒッターとなった感じだと推察している(10月の活動記録と12月のWith×MEETSからして103期生3人でのカラオケ配信を予定していた可能性もある)

かほるりの大ファンである自分としてはその配信が叶わなかったことはとても残念だったため, リベンジの場が設けられたときにはそれはもう飛び上がったものだ

そんなリベンジ配信では, お互いのユニット曲を歌いあったり, パイから教わった 古の曲 をデュエットしたりと, 心から今を楽しんでいるかほるりの姿を見ることができた

自分の眼前に広がる 楽しいだけの空間 は, まさに瑠璃乃が追い求めていたものだと, そう思えた


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よい機会なので, ここでかほるりについて語らせていただく(詠唱開始)

かほるりとは 共生 であると自分は思う

ここで言う共生は, 単純な共に生きるというよりかは 異なる生物がお互いを支えながら生きる という意味合いだ

では花帆さんと瑠璃乃の何が異なっているのか?

それは 無邪気さ

104期の活動記録やWith×MEETSでメンバーから持て囃されている瑠璃乃を見ていると, 103期 活動記録 第6話「わがまま on the ICE!!」で彼女が口にした 本心 は衝撃的だったなと改めて思う

そう, 瑠璃乃はこの世界に 絶望 していた

彼女が所属してきたコミュニティにおいて楽しいだけの空間を守ることはとても難しく, 最終的に「独りでいれば簡単に楽しいだけの空間を守れる」というマイナスの結論を出してしまった

対して花帆さんはどうだろうか

病弱ゆえに井の中の蛙として生きることを余儀なくされ, 趣味の読書から大海に思いを馳せていた彼女にとって, この世界は 希望 だらけだ

瑠璃乃を絶望させたコミュニティも, 初めから独りきり だった花帆さんには眩しく見えていることだろう

クラスメイトとカラオケに行くだとか, メンバーで一丸となって大会に臨むだとか, そういったことをまっすぐに楽しいと思える無邪気さが花帆さんにはあるのだ

そして彼女が有しているのは 天然 の無邪気さで, 瑠璃乃が有しているのは 人工 の無邪気さなのだと自分は思う

瑠璃乃は楽しいだけの空間を守るために努力して努力して, メンバーから持て囃されるほどに気を遣える(遣いすぎる)存在になった

けれども花帆さんは, 努力せずとも楽しいだけの空間を守れてしまうどころか, その空間をもっと楽しいものにすることだってできる(あくまで初期ステータスの話であって, 花帆さんも努力を怠っているわけではない)

時には気遣いが足らずに相手を傷付けてしまうこともあるけれど, 最終的には瑠璃乃の手が届かない楽しいを創ることができるのが花帆さんなのである

そしてこの 瑠璃乃の手が届かない というのは, 103期 活動記録 第17話「ルリ思う。」において, 花帆さんではなく 藤島 に向けて瑠璃乃が発した言葉だ

そう, 確かに藤島は楽しい空間をもっともっと楽しいものにすることができるだろう(楽しいのパワーバランスで言ったら藤島>花帆さん>瑠璃乃だ)

けれども彼女は楽しい だけの 空間を守ることができない, 当人が言うように, 誰かを取りこぼしてしまうのだ

その点においてやはり自分は, 瑠璃乃の手が届かない楽しいを創ることができるだけではなく, 自らが独りきりだった経験から, 独りになってしまう誰かを拾い上げることもできる, 瑠璃乃と 違うけど同じ 花帆さんこそが瑠璃乃の隣に相応しいと感じるわけだ(思想強め)

瑠璃乃という 造花 と花帆さんという 生花

1つの花瓶に生けられた2本の花が, お互いを綺麗だと思いながら共生している

その美しさに, 自分はこれからも目を奪われ続けることだろう

 

私が明日死ぬなら:104期 活動記録 第8話「Not a marionette」

現代において, 高校卒業ってさほど大きなイベントだろうか?と思う(ド陰キャ

確かにSNSが普及する以前であれば, 卒業後に友達の動向が掴めなくなることは日常茶飯事だったろうし, それによって孤独感を覚えることもあったかもしれない

けれども繋がりが強固な現代において, 独りになることってそうそう無いと自分は思うわけだ

例え高校を去ろうとも, 友達がSNSを続けてくれればお互い元気にやっていることは簡単にわかるし, 誰かが場所を設ければまた集まることだってできる

自称大沢瑠璃乃として数年前から独りでいることが多くなった自分だが, 高校の友達とはそうやって時折会うことを続けている(カスが極まる生き方をしていた自分を見捨てずにいてくれた人たちは生涯大切にしたい)

ではなぜ11月の活動記録がこれほど深刻な話になったのかといったら, それはメタ的に 蓮ノ大三角死ぬ からなのかもしれない

ラブライブ!シリーズとは ビジネス である

何よりも優先されるのは売上で, そのためなら 延命処置 を行うことだってできる

アニメでメンバーの卒業を描いたとしても, 卒業する前に時間を戻して新しい曲やグッズを出すことができるわけだ

けれども, リアルタイムコンテンツ である蓮ノ空はきっと, 時間を戻せない

もし104期スクールアイドルクラブの新曲が105期以降も聴けるとして, それはあくまで104期の未発表曲であって今の曲ではない

グッズだって, 大三角は104期のイラストを使用したものが遅れて発売されるのがせいぜいかもしれなくて, 卒業後の彼女たちが描かれたグッズが発売される保証はどこにもない

それって と同義なのではないだろうか

ストーリーのイントロダクションから今に至るまで, 蓮ノ空は何度も何度も時間に限りがあることを突き付けてくる

言うなれば我々は蓮ノ空を追い始めた時点でメンバーの 余命宣告 を受けていて, そして今, 大三角という 残り幾許かの命 に想いを馳せているのだと自分は思う

だからこそ, 11月の活動記録はそんな我々の想いを蓮ノ空が汲み取った形なのかもしれない

11月の活動記録で綴理が抱いたのは, 自らが蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブから離れること, そしてメンバーも同様に去っていくことへの悲痛だった

その メンバーが去っていく悲痛 とは今まさに我々が, いや 自分が 抱いているのと同様のものだ

自分だってわかっている, 彼女たちには未来があることくらい

スーパースター!!で可可が示してくれたように, スクールアイドルだけが人生の全てではない

けれども, スクコネや活動記録を通して毎日のように 今を生きる 様子を届けてくれるメンバーの更新がぱったり途絶える, その 死に近い感覚 を自分はどうしても耐えられそうにない

そんな自分の想いを汲み取るかのように, 綴理は 暗い未来 への不安を募らせていた

苦手なことが多い, 多すぎる綴理にとって, メンバーという支えがなくなることは死活問題だ

失礼ながら自分も, 彼女が誰かの支えなしに明日を生きることはできないと思っていた

そんな綴理を立ち直らせたのは, 村野さんの 私が明日死ぬなら という 極論

支えがいつなくなるかなんて誰にもわからない

メンバーとずっと一緒に居たいと願っても, いつかは独りになる

だからこそ, 独りでも明日を生きることができるように, 自らが何かを決めなければいけない

その綴理の幸せを願っているからこその 冷たい 言葉は, 彼女の胸に 熱く 響いたことだろう

と, 11月の活動記録は村野さんの極論が鍵となったわけだが, 自分にとってこの言葉が真に恐ろしいのは, 彼女が, いや 蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ が明日どころか 昨日死んでいた かもしれないからだ

聞きかじっただけでも, 異次元フェス以前の蓮ノ空が苦境に立たされていたことはよくわかる

  • 生放送でも暗い面持ちのキャスト陣
  • 空席の目立つ1st Live Tour
  • 中止となる可能性があったFes×LIVE

蓮ノ空が今も生きているのは 異次元フェス という ターニングポイント があったからで, 異次元フェスに拾い上げてもらえなかったとしたら, 最悪の場合 103期をもって活動を終了していた のではないかと自分は推察している(104期におけるFes×LIVEの規模縮小や急ごしらえのCDリリースがその証左だ)

卒業という余命を待たずしてメンバーが死んでいくその悲しみに比べれば, メンバーが卒業できるのはとても喜ばしいことだと, そう何度も自分に言い聞かせてきた

そしてきっと, それは 蓮ノ空のスタッフ も同じだ

自分は11月の活動記録を, 好き好きクラブのみなさんの想いを蓮ノ空が汲み取った形だと推察した

けれどもこの活動記録は, 蓮ノ空スタッフによる 心の叫び でもあったのかもしれない

苦境に立たされながらもなんとかここまでやってくることができた蓮ノ空

そんな中で, 手塩にかけて育てた3人のメンバーが自らの手を離れようとしている

その悲痛は我々よりもずっと, ずっとずっと大きいものだろう

けれどもそれは どうしようもないこと

3人の手をどれだけ離したくなくても, 離さなければならない

だからこそ, 蓮ノ空スタッフにとって綴理の苦悩, そしてビッグボイス選手権は, その手を話すための 区切り だったのだと自分は思う

夕霧綴理 とは 操り人形

脚本の通りに動き, 佐々木琴子が発した通りの言葉で誰かの心を動かす

そんな彼女の を断ち切るにはどうすればいいか?

簡単だ

続きを描かなければいい

スクールアイドルではなくなる ただの夕霧綴理進路 は現時点で判明していない

105期以降のサプライズ要素となるのか

ご想像にお任せしますなのか

自分は後者であってほしいなと思う

だってそれこそが, 綴理にとって真の 自由 なのだから

 

憧れ:3rd Live Tour TRY TRI UNITY!!! with DOLLCHESTRA

自分は蓮ノ空において特に 尊敬 しているキャストが2人いる

その2人とは 花宮さん(花宮初奈)と 野中さん(野中ここな)である

特に野中さんに関しては, 尊敬を通り越して 畏怖 の念すら抱いていることがある

何故この2人なのか?

それは歌うことが好きな自分から見て, 2人が 曲に入り込んでいる と感じるからだ(※あくまで個人の感想です)

メンバーというキャラクターではなく曲に入り込んでいる, この違いが重要である

蓮ノ空のキャストは例外なくメンバーに入り込んでいると自分は思う

それは With×MEETS という, 大まかな筋書きはありながらもコメントに応じたアドリブ力が求められる なりきり配信 を日夜行っているからで, 言うなればキャストとメンバーが 一心同体 だからだ

ではメンバーではなく曲はどうか?

伝統曲は今のメンバーについて歌っているわけではないし, 今のメンバーが作った曲でも, そのメンバーとは似ても似つかない登場人物が設定されていることがある

特に野中さん演じる村野さんが所属する(ややこしや)DOLLCHESTRAは良い意味で メンバー乖離 しているなと感じる

あの温和の2文字が似合う村野さんと綴理が(かちまちは...どうだろう)KNOTのように荒々しいナンバーを歌い上げる, そういったギャップがこのユニットの持ち味なのだと自分は思う

そしてメンバーと曲が乖離しているとき, キャストには 二重のなりきり が要求される
例えばスリーズブーケの残陽であれば, 花宮さんはパイになりきることから発展させて, パイがなりきる残陽の " 君 " になりきらないといけないわけだ

そんな難易度Sの技を, 花宮さんと野中さんはいともたやすく会得していた

特に野中さんは 弱冠18歳 でその領域にまで到達したのだ

そういった彼女の成長速度が自分はとても怖い

そして真に怖いのは, 彼女には 成長限界が見えない ところだ

自分から見て, パフォーマーとしての技量が上回っているのは花宮さんだ

あの日 まではそう思っていた

3rd Live Tour DOLLCHESTRA 夜公演, ユニット公演の中で唯一現地に足を運ぶことができたその公演は, 圧巻の一言だった

104期はFes×LIVEの規模が縮小したことで, キャストのパフォーマンスを見られる機会が減ってしまった

けれどもその機会減少によって, パフォーマンスの 練度 が上がっているのもまた事実だ

特に 葉山さん(葉山風花)はステージに立つたびに努力の成果が表れていて, 好き好きクラブのみなさんに 見つかった のがこの下半期では印象深い

そんな練度が上がった彼女たちのユニット公演で自分の目を釘付けにしたのは, 葉山さん, ではなく野中さんだった

そう, 彼女のパフォーマンスは, 自分の記憶にあったそれをゆうに超えていたのだ

野中さん演じる村野さんは, 104期 活動記録 第2話「踊り続けよう、きみが見てる」を経て, かちまちの 憧れ となった

必要以上に自らを卑下するかちまちが, 村野さんに憧れることは, 憧れることだけは間違いなんかじゃないと言い切った

それほどに村野さんのパフォーマンスが信じられるのだと

そんな彼女の憧れとなる 覚悟 を決めた村野さんは, 一体どこまで進んでいくのだろう

かちまちとの間に大きな距離が開いたとしても, 彼女が追い付くことを信じて歩みを止めない

村野さんはきっとそういう人だ

そしてキャストの野中さんには, 歩みを止めない村野さんになりきる 義務 があるのかもしれない

蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブのライブにおいて, メンバーがキャストの技量を上回ることは絶対にない

だからこそ, キャストはメンバーの技量を100%伝えることができるよう努力しなければいけないのだ

野中ここなという声優は怖いくらいにストイックだ

せーはすや生放送でふざけている姿とは裏腹に, 投稿する文章は誠実さに溢れている

初めは棒読みだった村野さやかとしての演技も, たった数話の活動記録で補正してきた

そんな彼女は村野さやかの成長に 応える べく, 日夜努力していることだろう

そして村野さやかが進んでいくかぎり, 彼女の成長も止まらない

そういった 可能性 を感じさせる 説得力 が, あの日のパフォーマンスにはあったのだと思う

 

我がまま:お散歩日記「藤島慈、史上最大の戦い」

メタ的な観点を抜きにしても, 11月の活動記録は個人的にとても好きな話だった

綴理にとって, そしてメンバーにとって卒業が苦しいことは変わらない

だったらせめて「苦しい」と叫んで区切りを付けよう

そういった綴理の想いには感銘を受けたし, また ひとりカラオケ という自分の趣味を見つめ直すキッカケとなった

この数年で自分は人並みに苦しいことを経験してきたと思うが,「苦しい」と誰かに打ち明けたことはない

なぜ打ち明けないのか

怖い からだ, 相手を 嫌な気持ちにさせる のが

前述したとおり, 今の自分は贖罪のつもりで気を遣うことが多い

そんな中でまた相手を嫌な気持ちにさせてしまったら, 贖罪どころか罪を増やすことになる

そうやって増やした罪は生涯のトラウマとなるわけだ, それは避けたい

ではどのようにしてビッグボイス選手権のような区切りを付けてきたのかと言ったら, ひとりカラオケがその役割を担っていたのだと思う

自分はそれなりに音楽を聴くほうだ

アニメのタイアップだけではなく, 世間の新曲ランキングなんかも日頃からチェックしている

そんな自分が 好きだと思う曲 のポイントは, それが 自分の曲 かどうかなのだと思う

この下半期で自分は何度か人間とカラオケに行ったのだが, その中で1度核心を突かれたことがあった

それは自分が 歌うために音楽を聴いている のでは?という人間からの推察だ

言われてみればそうだ

女性ボーカルの曲をあまり聴かないのも, しあわせハッピッピ!な曲を極端に避けるのも, それらは自分が歌うための曲ではないからなのかもしれない

自分が好きになるのはいつも この歌詞私のことだ... と思えるような, 敗者 について歌った男性ボーカルの曲ばかりだったのだ

誰かに打ち明けられない分, 自分はひとりカラオケでそういった曲の力を借りて「苦しい」と叫んでいたわけだ

そうやって合点がいったとき, 1人の少女が自分の脳裏をよぎった
その少女とは, カラオケが趣味の 瑠璃乃 である

そう, ひょっとしたら瑠璃乃もひとりカラオケで「苦しい」と叫んでいたのかもしれない

彼女はそうやって我慢できる, 我慢してしまうことを自分はよく知っている

だからこそ, 自分はビッグボイス選手権で瑠璃乃に 叫んでほしかった

気持ちは痛いほどわかる

仮に自分があの場に立ったとしても, 彼女と同じように我慢したに違いない

なぜって大三角を困らせたくないからだ

けれども彼女にはあの場で駄々をこねてほしかった

スクールアイドルクラブという 居場所 では 我がまま でいてほしかったのだ

そういった自分の心残りは, 11月の活動記録更新からわずか半月後という ヤバすぎるスピード で解消されることになる

11月末に発売となった藤島のお散歩日記において「ビッグボイス選手権」のワードが出た瞬間に自分は悟った

シナリオライター(藍藤唯)は我々の心残りすら織り込み済みだったのだ」と

そこからは気持ちいいくらいに藤島が自分の想いを代弁してくれた

私はいっつもるりちゃんを困らせてる分!るりちゃんにも困らせられたいの!

そう, 居場所ってきっとそういうものだ

一方的に気を遣うのではなく, 一方的に我がままになるのではなく

お互いが気を遣い, お互いが我がままになれる関係こそが居場所なのだと自分は思う

そんな藤島に対して, 瑠璃乃は 信じられる からこそ我慢したのだと語った

藤島を困らせたくないだけではない

離れ離れになっても全速力で夢を追いかける藤島が楽しみだから「苦しい」とは叫ばなかった

彼女はネガティブではなく ポジティブな我慢 をしたわけだ

それほどの 覚悟 を見せられては, もはや自分は何も言うまい

ぶつかる壁に風穴を開ける藤島のことを, これからは自分も信じてみようと思う1冊だった

 

12月

犠牲:104期 活動記録 第8話「みらくる・ざ・ゆにばーす!」

上半期の104期 活動記録 第3話「ゆえに、みらくらぱーく!あり」は, 好きだけでは片付けられない, 自分の バイブル とも言える話だった

楽しいだけの空間だなんだ, 贖罪だなんだと抜かしておきながら, 当時の自分は結局のところ, 瑠璃乃のように誰かを 下に見ていた と気付かされたからだ

その活動記録を経て, 自分は可能な限り 一方的な気遣い を避けるようになった

気を遣いすぎてしまったと感じたら我がままになってみる

我がままになりすぎてしまったと感じたら気を遣ってみる

そのバランスこそが 対等 な関係をもたらすと今の自分は思っている(我がままといっても, 前述したとおり「苦しい」とは打ち明けないが)

そういった心境の変化もあって, 12月の活動記録はかなり心に来るものがあった

藤島の母親が取った行動は, 間違いなく一方的な気遣いだ

勝手に自らの夢を諦めて, それを藤島に悟らせることなく, 彼女の夢を叶えてあげようとした

けれども自分や瑠璃乃と違って, その根底にあったのは 親心

親と子は対等ではない

特に未成年ともなれば, 子は親なしには生きられない

だからこそ, 藤島の母親は自らを二の次にして藤島へ手を差し伸べた

親としてこれ以上ない行動だ

そんな彼女の親心を悟れず一方的にこき下ろす藤島を見て, 瑠璃乃はどれほどの悲痛を抱いたことだろう

これまでの活動記録を通して, 藤島は意図的に 井の中の蛙 として描かれていたと自分は思う

「私はかわいい」と信じて疑わない 自己中心的 な少女は, 楽しかったこと, 苦しかったことを経て, 少しずつ 大海 を知っていった

そして彼女が高校の3年間で知る最後の大海は, 自己中心的な少女がもたらした犠牲だった

あらゆる人たちに迷惑をかけてきた自分は, そういった大海を知ったとき, 罪滅ぼしをすることを選んだ, 選んでしまった

けれども藤島はパイとの問答を経て, 世界一カワイイ自己中 になるべく, 犠牲を背負って進んでいくという 覚悟 を示した

流石は藤島, 自分が信じたメンバーだ

その覚悟によってラブライブ!北陸大会を突破ァ!!!した彼女を励ましたのは, 母親の「これでよかった」という言葉だ

藤島はそうやって背負った犠牲に「これでよかった」と思ってもらえるよう, 全身全力で世界中を夢中にしていくのだろう

18歳の誕生日を迎え, 大人 になった藤島慈の ここから に期待だ

 

まとめ

 

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いや長すぎる, 本当に

生産的な文章を書けているのならいいけれど, どの月も隙あらば自分語りをしてしまった

というのも, 今の自分にとって蓮ノ空は 自己分析 をするための場所だ(自分語り再開)

今までの自分は 2次元俯瞰 していたのだと思う

自分と似た境遇のキャラクターがいなかったから「そういうこともあるんだなぁ」と冷めた目で2次元を見ていた

けれども 大沢瑠璃乃 という写し鏡のような存在に出会って 感情移入 せざるを得なくなってしまった, そういった強制力が彼女にはあった

そして感情移入していく中で, 自分は彼女と何が同じなんだろう, 何が違うんだろうと考え続け, この下半期で加害者と被害者という 過程の違い に辿り着くことができた

今後も, 瑠璃乃の強制力に身を委ねて「このキャラ私だ...」と気持ちよくなるだけではなく, 彼女との 違い を見つけていければいいなと思う

それこそが, 未完成 な自分が 完成 へ向かうための糧となるはずだから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ, ラブライブ!大会決勝の結果が出る前に(拙いながらも)ブログを書き切ることができたので, せっかくだから 願掛け をしておこう

 

 

 

ラブライブ!優勝っ!

 

 

 

ぽちっ